
定期的に書いているのでなんとなくご存知かもしれないが
僕は落合陽一さんの作品が非常に好きである
何年先を見ているのか?理解は遠く及ばないけれど
彼の作品を見ているだけでなぜか心が落ち着く
それは現実と未来をはっきりとそしてどっしりと
理解はできないけどDNAは知っている
そんな作品だからだと思う。
前回書いた記事
鯖の話が印象的でそういった見方なんてした事もなかった。
進化に歴史あり、これは学ぶ上で一番大事な事だと思う。
多分見た事ある人ならわかると思うけど少し暗めに写っている
これを写実的というならまさに落合陽一に見えているままの景色、風景が
見える。
実は、僕の目には人より暗く写っているんですよ。(視力矯正のために)もう1枚レンズが入っているから。普通の人の見え方はレンズではf1ぐらいに相当するって言われるじゃないですか、それでいうと僕はf2ぐらいの世界に生きている気がしています。レンズを入れるまえはカールツァイスかSONYの世界にいたのですが、入れてからはライカ、ニコンの世界に入ってきて、わかりますか? ちょっと明暗がはっきり出るなとか、緑色の“しまり”はだいぶ良くなったなという感覚があります。自分の目がレンズを入れることでそう変わるとは思ってなかったのでびっくりしました。
https://www.asahi.com/and_M/20190122/124276/
インタビューから何を言っているかわからないが自分の世界線がはっきりしていて羨ましい。
あと単純に日本という国の文化へのリスペクトと日本で見た文化としての発表というのが落合陽一さんを好きな理由でもある。
著書デジタルネイチャーは一度読んだだけではおそらく冒頭のカーナビは
たしかに AIだ、ぐらいしか頭に入っていないだろう
それくらい難しい作品ですが何度読んでもいい本です。
片手間に読む本ではないので気をつけて。
カンテサンスの岸田さんや、HAJIMEの米田さんのように日本にいて日本だからこそ表現できる世界観というものを大事にしている。
質量への憧憬
デジタルなのに質量への憧れを
質量とは何か?

わざわざ写真で撮っているんです
デジタルで再現できてしまう時代に
そしてそこにある事、触れる事ができるという点はおそらく落合さんの一つの
主張なんだと思う。
映画でいうと宇宙船が飛んでいるシーンは物撮りかCGか?の違いくらい大きな事
そこにあるものへのこだわりと
しかしその境界を取っ払おうとしている姿が最高なんです。
日本人の忘れてはならない心、侘び寂びにもどこか退廃的な感覚を僕は感じる
そしてそれは美しいということを表現してくれる落合陽一さんには
日本を捨てないで欲しい。。。切実に。
