
多分、僕は料理人の中でも特に食べる事への興味がないニンゲンだと思う。
お会いしたことある方ならわかると思うが僕は細い、非常に細い、リビングデットである。
なぜ?料理をやっているか?単純に作る事が好きだし
食べるという行為は好きではないが食事の空間を作る事はとても好きだからである
美味しいなんて言われた日にはその日はハッピーな気分で終われる。
ものを作るのはとても好きだ
自己表現というものが苦手で感情があまりないように見られる
そんな自分でも自己表現できるのが料理だった
美味しいもの作れば褒めて貰える
だれかが美味しそうに食べている姿を見るのがこの上ない幸せで
もはや究極の自己満足の形と言ってもいいんだろうなと思う。

料理人が文章を書くという事
おそらく料理人は自己表現が苦手な人が多い(私見中の私見)です。
なので文にして人に伝える事は得意ではないと思っている。
僕は表現の幅を広げるために@icro_erkme 師匠に習いチキンコラムという形で
自分の言葉で世界を表現すると決めた。
文を書く人の技法や意図のようなものはまだまだないけれど文章という形で
自分の気持ちを表現するというのはなかなかに骨が折れるものだとやってみて
ひしひしと感じている。
師匠はやはりプロなので各所に自分の意図が散りばめられている事を知りました。
料理人の食材にかける仕込みとなんら変わらない丁寧な仕込み
すべての仕事に通じますね、丁寧な仕事というのは。
面白いとか、気づきがあるとは別に質の高い原稿ってのがあると思うんです
— 江六前一郎:ichiro erokumae: (@icro_erkme) February 24, 2020
信頼できる内容とは何かについて書きました
Life|原稿料をもらって書くということ|江六前一郎|@icro_erkme #note https://t.co/1YwoEO6FcQ
オチをつけるってのはそんな簡単じゃないでさぁ、、、
毎日書くとなるとなおさら構成まで考えずに思いついたことを
ブワーと書いてる、まずは書く事をやめない、そしてちゃんと考えるという事を
毎日しようと思う。
さて話を戻して、僕は食べる事があまり好きではない
なので方向性は違えど
HALさん同様食べ歩きという事をあまりしない。
もちろん技術的に本を読んだだけではわからない部分に関して
再現したい場合は食べに行くようにはしていますし
行ったら何かしら得るものは探すようにしています。
空間設計含めて。
このツイートはなかなかの賛否で議論がされてました
私
— HAL 公邸料理人 (@HAL87350031) January 28, 2020
修行時代あまり食べ歩きしなかった
今もそんなにやらない
そのかわり
本を買って読んで
あとはとにかく食材に触ってた
例えばプロ野球選手
それを目指すのに必要なのは
試合を観る事ではなく
地味な体力づくりと反復
飯食って一流になれるなら金持ちみんな一流料理人よ
と思っている
時間の投資先の問題なので別にどっちがいいとかは個人的には思わないですが
料理の味に対してお金を払ってくれているお金持ちはどれぐらいいるのだろうとはこのツイートを見て思いました。
料理の価値ってなんなんだろう?対価ってなんなんだろう?
僕の生息地も日本ではそこそこ有名な花街です
「場所代」と言われる謎の高単価許容ワードがあります。
その街によってたとえ同じ料理をだしたとしても評価は微妙にかわるんだろうなと思います。
900円のランチのお店でホールをやっている際、スプーンを磨こうとすると仕事しすぎって言われます。不思議な世界です。
需要と供給によって価格、価値が決まります。
5000円のカレーランチなんて圧倒的に需要は少ないです。
500円のカレーランチで水ポイッて渡されても何も思いません。
やりたいこと、ビジネスとして続けて行くことはイコールになることは中々難しいんだろうなぁとつくづく思います。
なので数少ない食べ歩きの機会はそういった
どんな需要の人に、どんな供給をしているのかを見るようにしています。
料理なんてほんの一部、もっと大枠で見ないといけない
でも意識高い料理人は料理を主役にしようとするんだなぁ。
よくも悪くも食材を一番見ている。
もしも
「お客様が座る最高の椅子に出会った!!」
って言っている料理人がいたらその店は最高だと思うので行ってみたいと本当に思う。