さてワタクシ頭が鶏のくせに茶道というものに興味があり
裏千家様で茶湯を少し習わせていただいておりました
京都は銀閣寺の麓まで月3回通ってましたが今は時間取れず中々向かうことが叶いません。。
ワタクシのような若輩者が茶道を語るということは烏滸がましいことではございますが。
あっ「烏滸がましい」というのは鳥が関係する古語ですね
烏滸の烏はそのままカラスの意味、滸というのは水際と言う意味の古語
水際でギャーギャーウルサイカラスに見立てて、中国で揚子江などに群がるやかましい人たちのことを「烏滸」と言っていた
それが転じてバカバカしいのような意味で使われていたものが現代になって今のような差し出がましいのような意味で使われるようになったんですよ。これ豆知識。
鳥はどこにでもいますね本当。
話は戻りまして、せめて通うことができないなら自主勉はしていこうということでこちらのコラムでお勉強していこうと思います。
もしも茶湯、茶の道に興味がお有りの方は続けて読んでいただけると幸いです。
さて日本の侘び寂びの美学を作りあげた男「利休居士」というお方について少し掘り下げたいと思います。
では鳥頭の茶湯道一回目です、皆様よしなに。
さて、早速youtubeに邪魔されました、この動画を貼り付けるために
30分は確実に要らない動画を見ましたね、ユーチューブコワイ。
おそらく今頭の中は「めっちゃ抹茶で茶道 茶道 茶道 茶道 めちゃくちゃ抹茶×2」が流れていることでしょう。
すごくわかりやすポップにまとめられてます、賛否両論あるかもしれませんが
とっつきやすさでいうとありがたいですね。
ちなみに「居士 こじ」というのはとても高貴なお茶会に出た際に当の天皇様から与えられたとされている敬称であるとされています。
我々は敬意をもって利休居士と呼ばせていただいています。
利休居士といえば侘び茶を完成させたとされる日本の美学にとって非常に大きな意味のあるお方です。
まず我々が入門をする際に心構えとして読む本を紹介いたします。
「利休道歌に学ぶ」
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この本は利休居士の教えを100の歌にしたものです、教えをわかりやすく覚えるために歌が一番よかったとのことで、確かになと思います。
稽古前にこの本の一節を読むことからスタートします、大人になってからの音読
地味にはじめは緊張しました。
その中から本日は一番はじめの歌
その道に入らんと思ふ心こそ 我身ながらの師匠なりけれ
その道に入ろうとして師を選ぶ時に、もうすでにそれは師匠以上の自分というものができているということです。
ちょっと何を言っているかわからないのですが
まずその道に入ろうと思った心、学びたいと思う心が師匠以上に全てを求めようとする心、日常に溢れているもの全てから吸収するといった心があって始めてお師匠様の教えもその一部となるのです。
まずは自分の学びたいという気持ちが大事です、これはどの道を選んだとしても同じことだと思います、やらせれてやる人とやりたくてやる人の成長度合いの違いは一目瞭然だということは皆様ご存知だと思います。
日常の中にお茶はあり、お茶を仏に供えるというところからくるものです
茶をつくり供え、湯をつくり供える。
この供えるという心がもとになって茶道が生まれてくるわけです。
ちなみ「湯をつくり供える」という感覚
ポットでお湯を沸かす
コンロでお湯を沸かす
茶釜でお湯を沸かす
炭をくべる
用途によって意図が変わるということはそこにも気持ちを込める余地があるということです。
いわゆる食材に対して「仕事をする」というのはそういった精神性が僕は大事と考えます。
意外と伝わるもんです。手抜いても。
稽古に出向き、ピリッとした空気とゆったりとした時間が流れるあの独特の雰囲気は茶道でしか味わえないことだと思います。
ただ「お茶を入れるだけ」の動作を芸術の域まで高めた利休居士の感性
しっかり学んで自分の道に活かして参りたいと思います。