チキンコラム|死を知ることで生の表現を知る クリスチャン・ボルタンスキー

チキンコラム|死を知ることで生の表現を知る クリスチャン・ボルタンスキー

僕は定期的に本屋さんに行き月一冊は目についた本を買う

なるべくなら料理本コーナーには近寄らないように最近はしています。

特に理由はないですがもっと新しい感性は料理本コーナーにはないように感じることが増えたからです。

おそらく世間様も少し同じことを思い出したのか

料理本も写真や見せ方にこだわるようになってきました

僕の感性は人と少しずれているのでしょうか

あまりよく見えません。

この現象については作為と無作為の話をしたい。

後でまとめよう。

楽しく本棚巡りをしているときに出会ったのがこの

クリスチャンボルタンスキー氏だ

とんでもないインパクトの表紙に心を奪われた

僕の大好きなクリエイター落合陽一氏が静の死なら

ボルタンスキーは動の死だと思っている。

共通しているのは度合いは違えど退廃的であること、決してPOPではないこと。

死を知ることで生の表現を知る クリスチャンボルタンスキー

僕らは当然に「今」生きている、おそらくこれを読んでくれている人はみんな生きていると思う、お化けの方が読んでいる場合は僕の文章も中々のもんである。

生きていることの裏には死んでいるが常にあって

そこまでにはたくさんの「今」存在していない人がたくさんいて

僕たちもいつかは存在しなくなる。

僕たちは存在しなくなるために存在している

言い換えれば死ぬために生きている。

生の先には絶対に死があって、死の後には生が存在している

そういうサイクルで世界は回っているのである。

ボルタンスキーは「死」という強烈な概念をぶつけることで

自分の生を確認し、そして輝かせる。

別に死にたいとかそういった感情は一切持ったことはないけれど

いつからか「死」というものはすごく意識するようになった

子どもたちが生まれたことによって

死ぬために生きる以外の理由が出来たこともあると思う。

僕たちは「命」という点で考えればたくさんの命を頂いて生きている

おそらく「命」を頂かない日はほぼないんじゃないかと思う。

食べられることで死ぬ命と食べることで生きる命

食事の原点には死生観がある。

料理人の端くれとして自分に出来ることを考えて行動したい。

死生観ってのは人それぞれだと思うけど一度「死」を意識して生きる

ってのをやってみると今生きていることの喜びや些細な出来事への関心など

たくさんの気づきがあります。

笑って 泣いて なんか疲れて 雨だったり 晴れたり

話したり 飛んでみたりと

まぁ僕は生きて 生きて その日を迎えるまで 生き抜いてやろうと思います。

終わらせる勇気があるなら
続きを選ぶ恐怖にも勝てる
無くした後に残された
愛しい空っぽを抱きしめて
借り物の力で構わない
そこに確かな鼓動があるなら
どうせいつか終わる旅を
僕と一緒に歌おう

HAPPY /BUMP OF CHICKEN

僕の高校時代の青春BUMP OF CHICKENのHAPPYという曲です。
これは自分の中にいる自分に向けた励ましとともに頑張ろうというメッセージの曲。

最後の一文の「どうせいつか終わる旅を 僕と一緒に歌おう」の意味を自分なりに理解した時は一つ考え方が大人になったなぁとしみじみしたものです。

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